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「戸越銀座」という地名の由来

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戸越銀座商店街を西に向かって歩いていくと中原街道という古い街道に突きあたります。中世以前から存在するといわれている古い道で、徳川家康もこの街道を通って江戸に入ったとされています。

戸越という地名の由来は諸説ありますが、そのひとつに、江戸から現在の戸越を越えると、相模の国(神奈川県の大部分)に入ることから、この地が古くは「江戸越えの村」と呼ばれ、やがて「戸越」になったという説があります。

戸越の鎮守「戸越八幡神社」の境内には、たちまちに願いがかなうという成就庵の評判を歌った「江戸を越えて 清水の上の成就庵 ねがひの糸の とけぬ日はなし」と刻まれた石碑があります。

戸越八幡神社の石碑

成就庵は戸越八幡神社の起源となった草庵で、平塚にある一本杉元八幡宮がその跡であるといわれています。他にも歌に出てくる「清水の上」に由来する「清水坂」という地名が現存し、古の歌が今でも地元に語り継がれています。

また、戸越銀座の周りには「清水坂」の他にも「宮前坂」「八幡坂」「三井坂」「平和坂」のように坂のつく地名が数多くあります。

商店街はこれらの坂を下ったところに東西に伸びる谷底状の地形に沿って形成されていたため、非常に水捌けが悪く、長い間ぬかるみや浸水に悩まされてきたそうです。

そんな折、当時の商店主達は、大正12年の関東大震災で銀座のレンガ造りの街並みが壊滅的な被害を受け、大量のレンガ瓦礫の処分に困っているという話を聞きつけ、そのレンガを水捌けの悪い通りに敷き詰めて歩きやすくしようと、銀座までリヤカーを引いてレンガを頂きに行ったそうです。

戸越銀座商店街の一番東側にある戸越銀座銀六商店街振興組合は、レンガを頂きに行った場所が銀座6丁目であったことから、銀六商店街の大半が当時は東戸越や戸越という地名であったのにも関わらず、銀座6丁目商店街と名付けられたという興味深い経緯があります。

そして、当時日本一の商業地であった本家の「銀座」からレンガを譲り受けるだけでなく、銀座の賑わいにもあやかりたいという思いから、「戸越」と「銀座」をつなげて「戸越銀座」と名乗ったのが始まりとされています。

戸越銀座は全国に300以上あるといわれている「○○銀座」の元祖と言われていますが、本家銀座との縁によって生まれた由緒正しい「あやかり銀座」なのです。

戸越と銀座のゆかり

明治5年の銀座大火(ぎんざたいか)によって銀座や築地一帯が焼失しました。明治政府は大規模火災の対策として建物の不燃化を推進し、銀座の街並みを、西欧風のレンガ造りの街並みに変えていきました。

その時のレンガの製造元のひとつに品川白煉瓦株式会社がありました。品川区に会社があった縁で、その創業者である西村勝三氏が、当時水捌けの悪い戸越銀座の悩みを伝え聞き、震災で生じた銀座のレンガ瓦礫の処理問題とを結びつけて、そのレンガを商店街の通りに敷き詰めてはどうかという提案をしてくれたそうです。これがきっかけとなり、銀座からレンガを譲り受けたと言われています。

「戸越と銀座のゆかり」記念碑
(品川区平塚2-17-10)

暗渠排水の大工事

今でこそ電線類が地中化されて、歩きやすくて美しい最新の街路となっていますが、暗渠排水(下水)の大工事が昭和30年代の中頃に行われるまでは、溝からあふれ出る水が、商店街の人達の最大の悩みだったそうです。

暗渠排水の大工事の様子
(昭和30年代中頃)

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